KOTOBUKI Medical<取締役鼎談>
高山 成一郎・杉浦 元・梅本 浩利


僕たちが目指すのは、VTTによって手術トレーニングの機会が増え、
医療従事者と患者さん、そしてその家族が幸せに暮らせる世界。
全ての人が安心して手術に臨むことが当たり前になること。

エンジニアであり代表である高山、経営企画の杉浦、セールスの梅本、と攻守バランスの取れた三名の取締役。
KOTOBUKI Medicalの起業に携わった三者の出会いから、社名が決まり会社を設立するまでに、実はとても運命的なドラマが繰り広げられていた。
このコロナ禍においても成長を見せるVTT事業を通じ、KOTOBUKI Medicalが担うべき世界観やイメージが今まさに色付き始めた。
医療業界に貢献すべく、KOTOBUKI Medicalのこれからについて取締役三名が語る。

代表取締役・開発担当 高山 成一郎

1968年生まれ。国立室蘭工業大学機械工学科在学中に父が倒れて大学を中退し、家業である株式会社寿技研に入社。 以後、設計、自動機製作、金型、制御、プログラム、生産管理など幅広く経験を積み現在は製品開発に活かす。

2005年4月 株式会社寿技研代表取締役就任
2012年   手術トレーニング事業を開始し、渋沢栄一ビジネス大賞、ぐん銀ビジネスサポート大賞、医療機器等試作品コンテスト、他多数受賞
2016~19年 千葉大学フロンティア医工学センター特別研究員
2018年11月 梅本/杉浦とKOTOBUKI Medical 株式会社設立

取締役・セールス・マーケティング担当 梅本 浩利

1964年生まれ。東海東京証券株式会社に11年勤務後、1998年ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社に入社。
手術医療機器の販売に従事する。


2003年から関東/関西/九州圏にて地域マネージメント業務を行いKey.Drとの関係構築や人材育成活動に従事し、2012年にRSM(リージョナルセールスマネージャー)に昇格。
2018年同社退社後、高山/杉浦とKOTOBUKI Medical 株式会社設立

取締役・経営企画担当 杉浦 元

1970年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。
大学在学中に起業後、大和企業投資にてベンチャー企業への投資業務を遂行。


ソラシドエアの設立に参画し、経営企画担当取締役として、事業計画策定や資金調達等の業務を担当した後、ブイ・シー・エヌのパートナーとして、複数企業の取締役を兼務し、CFO、経営企画などを歴任。オウケイウェイヴほか6社の上場、エグジットに携わる。
その後、コンコードエグゼクティブグループの設立に参画し、取締役COO就任。ベンチャー企業の採用支援と700人以上のビジネスリーダーに対するキャリアコンサルティングを行った後、株式会社エリオスを創業。人と組織に関わるソーシャルベンチャーカタリストとして、企業やNPOの成長に携わる。
2018年11月 高山/梅本とKOTOBUKI Medical 株式会社設立

――高山社長と杉浦さんとの出会いはかなり前に遡りますよね?

高山:僕が杉浦さんに初めて会ったのは、今から20年前、NCネットワークの設立当初です。NCネットワークはインターネットを駆使し製造業をサポートする会社ですが、町工場で働く人たちとは毛色の異なる人たちが働いていました。その一人が杉浦さんでした。
ただその当時、杉浦さんの存在を認知はしていましたが、顔見知りという程度でした。

杉浦:僕も高山さんの存在を知ってはいましたが、町工場の2代目3代目の中の一人という程度でした。その後6~7年経って初めて寿技研にお邪魔しましたね。確か高山さんが新たな事業を温めていた最中で、事業化するにあたりNCネットワーク代表の内原さんから「相談に乗ってあげて」と言われ、改めて高山さんを紹介されました。
その頃の高山さんの印象は、色んなアイデアを持っている人という印象で、正直何屋さんかわかっていませんでした(笑)


――二人が出会ってから年月が経過していますが、杉浦さんがKOTOBUKI Medicalの起業メンバーに関わった経緯を教えてください。

高山:KOTOBUKI Medicalを設立する年の7月、僕はアメリカの医療の展示会に出展していました。その状況をFacebookから発信したのを元NCネットワークの工藤さんがシェアしてくれて、その投稿を見た杉浦さんが「いいね!」をしてくれたんですよ。

杉浦:いやー、また面白いものを作っているなあと思って見ていました。

高山:このVTTの事業はKOTOBUKI Medicalを設立する2~3年前からひっそりと進めていました。VTTを仲間に見せると、みんな「いいね!」と口をそろえて評価してくれるのですが、あの頃の僕はこの事業がどのようにビジネスへ発展するのか、市場に受け入れてもらえる
のか見えていなかったのです。

出資を募ってファンドからお金を出してもらって…とアドバイスはもらえますが、誰も動いてくれない。結局自分でやるしかない。しかし出資してもらうにはどうした良いのか、どうやるのか全くわからず、一人で悶々と悩む日々が続いていました。
そんな時、工藤さんがシェアしたFacebookの記事に杉浦さんが「いいね!」してくれ、それを見た瞬間、この人、いや、杉浦さんってそういえば!資金調達の専門家だ、と思いだし、これは千載一遇のチャンス!と、アメリカからオファーし、帰国後すぐ杉浦さんに会いました。
僕は作るのは得意ですが売るのは得意ではありません。ましてや医療業界向けに新たな製品を作って売ろうとしても、自分一人の力では絶対うまくいかないことはわかっていました。
だから医療業界に詳しい専門の人に手伝ってもらいたいと思ってはいたんですが、寿技研でそのような人を募集しても来るわけないですし雇ってもトップセールスに見合う給料は支払えません。

そこで資金と人財の確保について、杉浦さんにアドバイスを求めました。
そしたら杉浦さんは「高山さんは会社を上場させる為に起業したいのか?」と聞いてきたので、それは違うと答えました。
自分が開発したこのコンニャク由来のの手術トレーニング用模擬臓器、VTTについて多くの人から高い評価を受けてきました。が、医療関係者に届けられる仕組みが作れない。正直はがゆい。自分が作ったものを世界中に届けたい。医療業界の役に立ちたいだけ。上場は目標では無い。という思いをしっかり杉浦さんに届けました。そしたら杉浦さんは「それじゃーやりましょう!」と一言僕に言ってくれました。

杉浦:僕の知っている高山さんは、とにかく世の中の役に立つものをカタチにするということにまっすぐな人です。もし上場を目的とするなら、高山さんが持つ価値観を曲げながら売り上げを伸ばさないといけない時がきっとあると思いました。だから上場が起業の目的じゃないと知り、お手伝いしたいと思いました。
但し、色々な理由で家業である寿技研とは別会社にするべきであると提案しました。

高山:僕も会社を分けようかとおぼろげに考えていました。杉浦さんの提案により頭が整理されました。


――高山社長と梅本さんとの出会い、そしてKOTOBUKI Medicalの起業に関わる事になった経緯は?

高山:とにかく医療業界に強いトップセールスが必要で、会社設立を目前とし切羽詰まっていました。ある時医療業界に勤めている古くからの友人に一か八かLINEで相談しました。そしたら彼からすぐに返事があり、その日ちょうど海外から帰国予定で、今日なら会えると言われました。
彼と居酒屋でご飯を食べながらVTTを説明し、事業化する為に売る力を探していると伝えました。しかし本心は、医療業界に詳しい専門知識を持っている人が現職を辞めてまで働いてもらうには色々な意味で難しいと考えていました。
まだ会社の実態も実績も保証もないのに、「明日からうち来ませんか?」とはなかなか言えません。
ですから、“新しいことにチャレンジしたい”と思っている、医療業界のセールスで経験豊富な人いない?というアプローチに変えたところ、「いるよ、いるいる、さっきまで一緒に海外に行っていたよ。」と。そんな人が偶然にいるのかとかなり驚きました。
それが初めて梅本さんを知った日の出来事でした。

梅本:帰国した日の夜に電話がかかってきて、いきなり「面白そうな事業がある。」と言われました。アメリカではずっと一緒に行動していたのに、一度もそんな話がなかったので驚きました。
ただ、アメリカ滞在中、私は彼に、これから何をやるべきか悩んでいると相談していました。そしてその翌週に、高山さんと会いました。
会うまでに事前にもらっていたVTTの動画を見て、製品については理解していました。

高山:大阪に向かう新幹線の中で、こんな偶然があるんだと興奮していました。
すぐに梅本さんの地元である大阪で会うことになり、その日に向け梅本さんが首を縦に振ってくれるよう説得する為の資料を仕込んだんです。そして駅の改札で初顔合わせし、連れて行かれたのが居酒屋でした(笑)
梅本さんの前職が医療業界のトップセールスだった為、医療業界の課題をよく理解していると知っていました。だからVTTについて面白いと感じてくれていることはわかっていました。
しかし、この事業に興味を持ってくれたとしても、僕自身を信頼し一緒に事業をやるのとはまた別の話だと感じていました。ですから説得の為の資料を一生懸命作ったんです。


――熱心に話されている高山さんを見て梅本さんの決断は?

梅本:正直、資料の内容はほとんど覚えていないです(苦笑)。ただ、印象に残っているのは、高山さんと会うまでは、この会社で働かないか?と言われるのだと想像していたのに、一緒に起業しないかという提案だったことです。正直、その提案は僕の気持ちとマッチしていました。だから僕の回答はもちろん「一緒にやりましょう」その日に即答しました。
高山さんとは会って間もない間柄でしたが、パートナーとしてうまくやっていけると直感的に感じていました。
ただ、資金調達について不安視していたところ、高山さんは、「既に資金調達のプロと一緒に起業することが決まっている。」と自信に満ちた目で回答してくれました。その姿を見て大丈夫だと確信したんですね。


――その日は少しお酒の勢いがあったのでは?

梅本:これまでもお酒を飲みながら重要な決断をする機会もありました。特に高山さんからの提案に対し即決断して良かったと素直に思えます。
仕事をしていて楽しいと思える瞬間が以前より増えましたから。ナイスジャッジでした!

高山:いや、僕の方は心配でした(笑)
大きな会社の第一線で活躍してきた人に、思いをきちんと届けられたのかと。
ただ僕は決めていました。三国志の三顧の礼(三国志に登場する劉備が、諸葛亮を三度も訪ねて面会し、彼を軍師として迎えた故事から生まれた言葉)のように、一度目断られたとしても三回はお願いする覚悟でいました。
その一週間後、三人での初顔合わせが当時の杉浦さんの渋谷オフィスで実現しました。

杉浦:そして近くの安い居酒屋に飲みに来ましたね。

高山:その一カ月後にはKOTOBUKI Medicalを設立しました。もし良いセールスが見つかっていなくてもまず会社を設立しようと考えていました。
そういう意味では、梅本さんと出会えてラッキーでしたね。

梅本:今考えると怖いですね。
戦略も立っていない、始まってからどう売るかを考えたわけですからね。
最初は試行錯誤が当たり前なのですが…会社が出来てから色々決まっていきました。


――ものすごいスピードでKOTOBUKI Medicalが設立されたのですね。

高山:杉浦さんに相談して4カ月待たずKOTOBUKI Medicalを設立しました。しかしここに至るまで3年くらいかかっていましたからね。
正直、このメディカルの会社は家業では無いし、公の会社として育て経営したいと思っていましたので、社名に寿技研創業者である父の名前の一文字、「寿」を使うのは差し出がましいと思っていました。
だけど杉浦さんは社名に「寿」を使うことにすごく賛同してくれて…
実は、後から杉浦さんには告げましたが、KOTOBUKI Medicalという社名が誕生したこの日(9月14日)は、父(高山駿寿)が他界した日で、社名に「KOTOBUKI(寿)」が使われたことは、偶然か必然的か、とにかく運命的な一日だったんです。

杉浦:僕は、高山さんのお父さんが亡くなったとは全く知らず、シンプルに「KOTOBUKI(寿)」イイじゃないと思っていました。
VTTをグローバルに広げていく事を思い描いた時、尚更、「寿」に込められている意味、連想されるイメージ、例えば「幸せ」だったり「平和」だったり、今の時代にマッチしていると感じました。
KOTOBUKIはVTTの世界観と合致しています。このKOTOBUKIをここ八潮から世界に僕たちが広めていこう!と決めました。その話しをした時、高山さんから「実は…」と、お父さんが亡くなられた旨を告げられました。

高山:この半年の出来事は僕にしてみたら10年分くらい濃密な時間が凝縮された半年でした。全ての出来事が、自分の人生において運命的であり、ドラマチックなものでした。

――KOTOBUKI Medicalが設立され3年弱。思い出深いエピソードは?

高山:この新型コロナウィルスじゃないですかね。僕たちの製品は手に取って触っていただくことのリアリティーを売っています。世の中は非対面によって業務を行う方向にシフトしているので辛い状況です。ただそのような状況でもKOTOBUKI Medicalのニーズは広がっており、売り上げも伸びています。梅本さんのおかげだと感じています。
海外に関しても、コロナ以前は、どこにいても行き来が当たり前でした。
KOTOBUKI Medicalを設立して半年経った頃、米国の大手医療機器メーカーから今すぐVTTについて詳しい話が聞きたいと問い合わせがありました。すぐ会社(米国の)に来て欲しいという内容でしたが、その時は、英語が話せる社員がいなく躊躇していたら、わざわざ向こうから東京に来てくれて商談に至りました。
“会って話すこと”がビジネスの前提でしたが、コロナ禍になり、距離だけの問題じゃなく会う機会自体、奪われました。
社内会議はオンラインに自然となりましたが、お客様と非対面でビジネスが進むとは予想していませんでした。しかし結果として、お客様とも、コロナ禍では(オンライン会議が)当たり前になりつつあります。
お客様にサンプルを送って、画面の向こうのお客様がVTTを使いながらカメラ越しにMTGを行う。起業する時には考えられなかったビジネスの進め方がが現実に動き始めています。
お客様と頻繁にしかも様々なテーマでディスカッションする機会が増え、良い環境になったなと感じる点も多々あります。

杉浦:営業・開発の商談がオンラインで出来るのであれば、僕たちが目指す医療のトレーニング自体もオンラインで出来るのではと夢は膨らんでいます。
VTTはKOTOBUKI Medicalの製品の中心であることはは変わりませんが、オンラインという手段を通じて、更に出来ることが広がるであろうと考えています。


――このコロナ禍において、VTT事業が伸びている理由

梅本:VTTを普及させる為に、試行錯誤はありましたが、販売ターゲットを替えながら戦略的に進めてきました。
売上にすると、今年は当初予算を超えるところまで順調に進んでいます。

高山:KOTOBUKI Medicalが実現できる将来をみんなで考え共有してきました。そこに至るまでの時間をガチガチに決めたわけではありませんが、目指しているゴールへの道のりの中で一歩一歩前進出来ているのは確かです。

杉浦:むしろVTTがどれだけ世界に広がっているか?どのくらいお医者さんに使われたいるか?のイメージをしっかり共有し、足元から出来る実績を着実に積み上げていくことが重要です。
近い将来ブレークスルーを迎える時が来ると感じるくらいバリューある商品だと自負しています。その仕込みを加納さんが中心となり進めてくれていると思って期待しています。
お医者さんが当たり前のように直接KOTOBUKI Medicalに注文してくる状況を思い描いています。


――その時見える景色が一変しそうですね。最後に、今後のビジョンを教えてください。

梅本:いつも思うのは、「お客様のニーズに対し技術で貢献することが重要」ということです。そのような会社が生き残っていけると思います。私は意外と現実的です。
医療トレーニングという未知の業界で生き残るのは簡単ではないと考えています。
私たちのお客様は医療関係者です。そのような方々にKOTOBUKI Medicalの製品が必要だと思っていただけて初めて、地域・社会貢献、そして世の中の為になっている。そう思いながら仕事をしています。
世界ナンバー1の医療トレーニング企業になれると思っています。

杉浦:僕は結構夢想するのが好きなので…。
新型コロナウィルスの影響でオンラインが当たり前になっている状況下で妄想しているのは、手術トレーニングもオンラインで出来ないのかということです。
昨今、遠隔医療が導入され始めたり、腹腔鏡下手術や手術ロボットはモニター越しの手術だったりします。であれば、「遠隔トレーニング」という手段もあるなと。
トレーニングを積みたいお医者さんや学生が、トレーニング機器を揃えなくても手元に操作レバーとインターネット環境さえあればいつでも必要な時にトレーニングが実現できる。
つまり、医療機器メーカー・大学病院独自でトレーニングセンターを持たなくても良いということに繋がります。
世界中のお医者さんや学生がモニターを見ながらトレーニングしている情景を思い描くとまだまだやれる事がたくさんあるなと可能性が膨らみます。

梅本:実医療はどんどん進化しています。 手術データを蓄積している会社はたくさん存在していて、AI分析されロボットの活用に活かされるというのは医療業界でも近未来です。そこまできているのが実態です。

高山:そこに僕らが担っているトレーニングを絡められないかと考えています。例えば、トレーニング結果と実医療の結果を結びつけること事で見えてくるものがあると思いますし、トレーニング結果・評価を元に、手がけられる手術を判別できるなど、トレーニングと実医療が結びつくことで、手術の成功率がより高まっていく社会を実現したいです。
しかし、練習・教育という分野は残念ながらあまり重要視されていないのが現状です。

自動車教習所のように、場内教習を受けてあるレベルに達した人が、路上に出れる。そして試験に受かればライセンスをもらえるのとイメージは一緒です。
医療業界にもそういう時代が来ると思っています。

杉浦:教習所ですね。わかりやすい!

高山:目指すのは、世界中全ての医師が手術にかかる前、VTTで練習し手術に挑むこと。その結果手術の成功確率が伸び、病気を抱えている患者さんが元気に日常を取り戻し、家族みんなが幸せに暮らせる世界。それが当たり前になることです。まさに「KOTOBUKI(寿)」ですね。

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