『思いがけない潜在的な要望を引き出したVTT肺モデル』聖マリア病院 呼吸器外科診療部長 / ロボット手術副センター長 大渕 俊朗先生インタビュー
KOTOBUKI Medicalインタビュー企画第三弾として、聖マリア病院(福岡県久留米市)を訪問し、聖マリア病院 呼吸器外科診療部長 / ロボット手術副センター長の大渕先生にお話を伺いました。外科教育における実践の大切さから横隔膜の謎についての研究、そして無名のヒーローたれというお話を聞かせていただきました。
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1.若手医師教育(トレーニング)に対する現在の取り組みを教えて下さい。
実践を重視した外科教育を行っています。実際に手を動かして体験することが何よりも大事だと考えて、外科教育にあたるようにしていますね。
例えば胸腔ドレーンを入れてみましょうという場面でも、若手の先生方に胸膜を破る感覚というのは、実際に経験してみないと、分からないものなんですね。
いくら教科書を読んでも、ビデオを見ても、当たり前ですが自分の手にはなんの感覚も残らないんです。
それがたった一回、”ぷちん”と自分で膜を破る体験をすると、そのあと教科書やビデオを見たときに、「あーそういうことか」とすとんと腑に落ちるんですね。
やはり、「実体験をすることが一番大切だ」ということが、私の持論です。
手に感覚を一度伝えることを重視して教育を行っています。
2.教育にあたって課題に感じている点がございましたら教えて下さい。
若手の先生方には実践の回数が限られていることが、課題だと感じています。
ハイボリュームセンターは見る機会が多いとは思いますが、若い先生もたくさん集まっているので、実践のチャンスがなかなか回ってこないという現状があります。
私たちの実践教育は、教えて1度やらせて、あとはシミュレーターやビデオでイメージトレーニングを繰り返し、経験回数を補うように指導していますが、現実にはなかなか頻繁に行えないのが難しいところですね。
―現在はどれくらいの頻度で実践の機会があるのでしょうか。体感で良いのですが。
聖マリア病院は救急病院なので、交通事故や転落などにより緊急手術になる回数が結構あるんです。
そういった中で胸腔ドレーン挿入や気管切開などの機会も多いので、月にならすと、4、5回ぐらいじゃないでしょうか。
そういった中で、マンツーマンで執刀の機会を一回与えると、若い先生方の自信が一気に上がります。
最初は手取り足取り一緒に行っていたことが、「自分たちだけでやっていいですか」という声が上がったりする。
最近は開胸術を教えて欲しいという要望がきましたね。
3.弊社肺モデルを使用して、ハンズオンを実施していただいたとお聞きしました。モデルのご評価や、ハンズオンのご感想をお聞かせ下さい。
適度な水分を含んでいて、電気メスなど、実際の手術と同じ道具を使えることが大きな利点だと感じました。
手前味噌な話ですが、私は以前、肺葉切除トレーニング用の肺モデルを開発しました。
依頼主の「ホテルを汚さず、廃棄が簡単」というコンセプトに沿った、ほぼスポンジ素材のドライモデルです。
当時肺の解剖が再現されてて画期的でした。
ところが最近はデバイスの進化に伴って、モデルに通電させる必要が出てきたんでしょう。頭いい人がいて、肺モデル全体をスポンジで作り、水を含ませて電気メスを使える様にした人がいたんです。
自分がプロクター資格を取得しにIntuitive社のセンターに行ったときに、通電できるモデルを初めて見て、「なるほど!自分のモデルより進化してる」と感心した記憶があります。
湿気があるモデルっていいなと思っていた時に、VTT肺モデルに出会い、水分の含み具合や、電気メスで切った時の触感のフィードバックなどに魅力を感じました。
やはりいくら水分をかけたとしても、スポンジって生体に比べて短時間で切れてしまうんですね。
その点VTTは、生体により近く良いなと思っています。
また、つまんだ時やステープラーで挟んだ時の感触も非常にリアルだと感じます。
―現状のVTT肺モデルに点数をつけるとしたら?
5段階評価で4+を付けます。
私が評価しているところは、手の感触のフィードバックや電気メスの切り心地に加えて、血管と気管支の構造です。
VTT肺モデルでは、血管と気管支が実際の肺と同じように、奥に隠れているんですね。
「血管を出しなさい」というのが、肺葉切除のトレーニングでまず最初にやる、絶対にやらなければいけないことなんですが、初心者には「さあやってみて」と言ってもできない、とても難しいことなんです。
ところがVTT肺モデルを使って、若い先生が血管や気管支の構造を想像しながら堀り進めて行くというのは良い練習になる。
「血管を露出する」というタスクに対して、よく出来た使えるモデルだと思います。
また、手術の実際の器具を使えるのも大きな利点ですね。
胸腔鏡セミナーを初めて受けた時に「ビーズを右から左に動かしなさい」とか、「輪ゴムをかけていきなさい」といったことをやるわけなんですけど、全然楽しくなかったんですよ。例えるならラジオ体操的な準備運動です。
一方で、私が以前開発した肺モデルは手術器具が使えるモデルだったわけですが、それが呼吸器外科学会に正式に採用されて、みんなでハンズオンをやる時に、例えばハーモニックを使って、デバイスの操作音が響く中トレーニングを行うと、臨場感が出て参加者の目の輝きが違うんです。
例えるならミニゲームですね。「これ、BGMとして心電図の音を流すともっと良いかも」なんていう冗談もその場では出たりして。
4.肺モデルをご使用いただいた模擬手術が「潜在的な要望」を掘り起こしてくれたメリットがあったとメールを頂き大変嬉しく思いました。ぜひ詳細をお聞かせください。
患者様の命というプレッシャーがない中で手術する機会って、実は中々作れないんです。たまたまVTT肺モデルを入手したので、ロボットの実機で肺葉切除の練習機会を設けました。
するといつもは周辺でサポートしてくれる人たちが、興味を持ち始め、例えばステープラーを実際に打ってみる、或いは実際にロボットを操作してみる、という非日常を作り出せたのが新鮮でした。
パラメディカルのメンバーは、普段、手術に携わっていても……例えるならお神輿を準備したりのサポート役。
だけど、たとえ練習でも実際にお神輿を担いでみたら楽しいし、目から鱗のような新鮮な体験を得られる。今まで「ロボットってこういうものかな」ってはたから見て想像していたことが、実際に操作することによって「あ、こんなに難しいんだ」「組織を結構強く挟むんだ」という気付きを得られる。
そういう実体験があれば、医師たちの技量や苦労も理解できるし、お手伝いするにも労いや尊敬が生まれやすいと思うんです。
今回、手術に携わる医師以外のメンバーが、模擬手術を体験し手術をより深く理解することで、チーム全体のパフォーマンスや士気が上がり、患者に良いベネフィットをもたらすことが出来るのではと感じましたね。
我々も感知しえなかった要望、医師以外のメンバーへの模擬手術体験の機会を「潜在的な要望」と考えています。
実は、今回の出来事は私がVTT肺モデルの使用感を手術ロボットでテストしようと思ったのがきっかけだったんです。
ロボットの準備をしなければいけないので、実際の手術と同じように臨床工学技士さんを呼んで、機器の準備をしてもらって操作をしていたら、技師さんから「僕も触ってみてもいいですか」って声が上がって。
ステープラーを打ってみて「これすごく便利なんですね」なんてやったり、力を入れ過ぎて操作したらVTTの組織がぷちっと切れたりして、力のかけ方を体験したり。
そのうちに手術室のベテランナースが「新人ナースがいるから、ちょっと見学させてください」と、途中でやって来ました。
新人さんたちにメーカーの業者さんたちが、自動縫合器の操作、着脱法などを急遽指導することになり、教える方も教えられる方も、とても生き生きとして、嬉しそうなのが印象的でした。
偶発的に体験の輪が広がった様子を見ながら、これは研修医や専攻医の教育やモチベーション喚起に使えそうだと思いましたね。
これは私がよくする話なんですけど。眠っている時に空を飛ぶ夢を見たことがあると思います。
とてもリアルな感覚ですよね。つまりやった事がなくても人間の想像力はたくましいので、見ただけでなんとなく全てがわかったような気になれるんです。
ところが現実を一度でも体験すると、その想像は体感によって修正され、より現実的な見方をするようになります。
要するにVTTのようなモデルでの模擬手術は触覚などの体感情報が得られるので、より現実的な手術攻略法に結びつくと思います。
5.10年後のご自身の姿を教えて下さい。
リアルな質問ですね(笑)多分私は、10年後はメスを握っていないと思っています。
何がやりたいかといえば、しゃっくりの謎を解明したいと思っていて。実際しゃっくりを止めるガスを開発し特許を取得しました。
しゃっくりとは横隔膜の痙攣だって一般的には言われていますね。
でも違います。そもそも横隔膜は哺乳類だけが持っています。
つまり哺乳のために横隔膜を獲得したわけです。親鳥は餌を取りに行く間、巣に赤ちゃんを置いていきますが、その間外敵に襲われる恐れがあります。
だけど哺乳類は母親がずっと保護できるから、子孫を残しやすいわけです。つまりしゃっくりは哺乳類だけに起こるのですから、きっと哺乳に関連した運動だと考えています。
例えばカンガルーも哺乳類ですが、その赤ちゃんなんて、生まれた時ものすごくちっちゃいんですよ。
身体が小さいので極細の食道に母乳が詰まることもあるでしょう。
すると詰まった瞬間、横隔膜を急激に収縮させることで強い陰圧を作り、ぐっ!と母乳を胃の方に移動させるわけです。
つまり、しゃっくりは嚥下運動の一種で、食道に詰まったものを飲み込むための不随意反射だと考えています。
横隔膜の陰圧が呼吸や嚥下に寄与しているという研究を進めて、いずれ生理学の本に載っている通説を書き換えるのが、私の夢です。
よく子ども向けの科学の本なんかであるじゃないですか。
「Q. しゃっくりとはなんですか?A. 横隔膜の痙攣です」。
あれを書き換えたい。そう思っています。
―ついこの間娘に同じことを聞かれたんです。
「ママ、しゃっくりって何?」
「横隔膜の痙攣だよ」
「ふーん。で、なぜ痙攣するの?」
素朴で核心をついた質問に答えられなかったんですが、今日答えを得ました。感動しています。
そんな中インタビューも最後の質問となりました。
6.医学生や若手医師へのメッセージをお願いいたします。
なぜ医者を目指したのかという原点には「世のため人のため」というのがあると思うんです。
例えば、”プロのドライバー”と一口に言っても、F1ドライバーも、トラックやバスやタクシーの運転手もいるじゃないですか。
F1ドライバーにはスポットライトが当たって、人々の注目を集め、華やかに見える。
でも、世の中を回しているのはF1ドライバー(だけ)ではない。
それこそ名もないトラックやバスやタクシーの運転手が世の中を回しているわけなんですよね。
もし世の中のプロドライバーが全てF1ドライバーだったら大変なことになってしまう(笑)
もちろん若い人たちは是非F1ドライバーを目指して欲しいと思います。
でも、安全を守って、ルールを守って、地味だとしても確実な仕事をして世の中に貢献している人々がいることも心に留めて欲しいと常々話しています。
もう一つよくする例え話は消防士ですね。人々が困った!となった時にさっと現れて助けてくれる消防士の名前、佐藤さんとか田中さんとか、誰も知りません。
困りごとを解決して去っていく姿を見て、人々は「助かった」と感謝するわけですが。
医師というのは国から免許をもらって仕事をする、いわば準公務員なわけで、やはり社会の人々のために働く、無名でもいいじゃないか、「消防士さん、助かりました」「お医者さん、助かりました」と人々に感謝される、そういう医師になってほしいと若い人々に願っています。
本日は外科教育から哺乳類の神秘、そして無名のヒーローたれというお話をお聞かせいただき誠にありがとうございました。
今後VTTに関連する学会発表なども計画されているとお伺いしております。大渕先生の益々のご活躍を楽しみにしております。
<大渕先生プロフィール> 1988年(昭和63年)産業医科大学卒。福岡大学呼乳小外科所属。2011年から現職。自称しゃっくり博士。趣味はゴルフ、電子ギター。
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